2007年06月18日
アメリカン・レモネード
アメリカン・レモネード
赤ワインとレモネードの二層のコントラストがとても美しいです。
カクテルの歴史 Part7
日本では、
わが国にカクテルが伝えられたのは、比較的早く、日本で最初に飲まれたのは、明治時代の「鹿鳴館」であるといわれています。この鹿鳴館への出入りが許された上流階級の人々のみ、カクテルを味わう機会に恵まれたのです。
大正時代になると、喫茶店とバーを兼ねたカフェのメニューの中にカクテルが登場することになります。
実際多くの人がカクテルを飲むようになったのは、第2次大戦後の昭和30年(1955)年頃からで、トリス・バーの大流行がきっかけだったといわれています。当時トリス・バーでの1番人気はハイ・ボールでしたが、日本のオリジナルカクテルである青い珊瑚礁や雪国なども作られたのもこの頃です。
全国の都市にスタンド・バーが「雨後のタケノコ」のように増えて、手頃な価格と親しみやすい雰囲気のスタンド・バーは、戦後の開放された社会風潮もあって若い世代を中心に爆発的な人気となり、カクテルブームを呼びました。この時期、女性の飲酒がひろがっていったのも、ブームに拍車をかけました。
その後ボトルキープ制によるウイスキーの水割り全盛時代にカクテルへの関心が衰退する時期がありますが、人気が復活するのは1976年頃からで、当時のディスコ・ブームにのって、トロピカル・ドリンクが人気を集め、その後今日に至るまで、女性を中心に再び飲まれるようになりました。
赤ワインとレモネードの二層のコントラストがとても美しいです。
カクテルの歴史 Part7
日本では、
わが国にカクテルが伝えられたのは、比較的早く、日本で最初に飲まれたのは、明治時代の「鹿鳴館」であるといわれています。この鹿鳴館への出入りが許された上流階級の人々のみ、カクテルを味わう機会に恵まれたのです。
大正時代になると、喫茶店とバーを兼ねたカフェのメニューの中にカクテルが登場することになります。
実際多くの人がカクテルを飲むようになったのは、第2次大戦後の昭和30年(1955)年頃からで、トリス・バーの大流行がきっかけだったといわれています。当時トリス・バーでの1番人気はハイ・ボールでしたが、日本のオリジナルカクテルである青い珊瑚礁や雪国なども作られたのもこの頃です。
全国の都市にスタンド・バーが「雨後のタケノコ」のように増えて、手頃な価格と親しみやすい雰囲気のスタンド・バーは、戦後の開放された社会風潮もあって若い世代を中心に爆発的な人気となり、カクテルブームを呼びました。この時期、女性の飲酒がひろがっていったのも、ブームに拍車をかけました。
その後ボトルキープ制によるウイスキーの水割り全盛時代にカクテルへの関心が衰退する時期がありますが、人気が復活するのは1976年頃からで、当時のディスコ・ブームにのって、トロピカル・ドリンクが人気を集め、その後今日に至るまで、女性を中心に再び飲まれるようになりました。
Posted by すいけん at 18:05│Comments(0)
│カクテルの話