2009年04月20日
アイス・ブレーカー

アイス・ブレーカーとは「砕氷船」の事。又、「緊張を解きほぐす」との意味合いもあります。
テキーラ (Tequila)について
テキーラ は、メキシコ国内のハリスコ州とその周辺で、アガベ・アスール・テキラーナと呼ばれる竜舌蘭の一種から発酵、蒸留して造られるお酒で「サボテンから造られる」と言われることがありますが、これは誤りです。
ウイスキーのようにそのまま飲まれるほか、カクテル等の材料にも使われる。産地ではそのまま飲まれることが多く、高いアルコール度数から喉を守るために塩を舐めライム(又はレモン)を口へ絞りながら楽しむのが正統な飲み方とされる。まだ飲み方はあるとのこと。
2009年03月11日
桜霞

今年の桜の開花予想は、3月31日ごろのようです。桜の満開の様子を思いながら、桜リキュールを使って、オリジナル・カクテルを作りました。
ラムの種類
大きく分けると、風味(香りの強さ)と色に分けられます。
風味では、ライト・ラム、ミディアム・ラム、ヘビー・ラムです。色としては、ホワイト・ラム、ゴールド・ラム、ダーク・ラムとなります。その他のラムとしては、香辛料で香り付けをしたものもあります。
2009年02月27日
グリーン・ハバナ

キューバのプランテーションをイメージして作ったオリジナル・カクテルです。
日本の砂糖
サトウキビは、赤道近くのパプアニューギニアで、1万7千年前から作物としてさいばいされていたようです。琉球には、インドネシア、インドのガンジス川、中国をたどって伝わったといわれます。
また、サトウキビからさとうを作る「せいとう法」は、儀間真常(ぎましんじょう)という人が、中国の福州(ふくしゅう)に人を送り、技術を学ばせて広めたものです。1623年に初めて作られて以来、黒砂糖は琉球の重要な輸出品として、戦前まであつかわれていました。
(沖縄の産業/さとうきびより)
1609年 薩摩国大島郡(奄美大島)の直川智(すなおかわち)が黒砂糖の製造に成功。
1623年 琉球の儀間真常(ぎましんじょう)により中国福建省から黒砂糖の製造法が伝えられる。
1727年 八代将軍徳川吉宗がサトウキビ栽培を奨励。
以後太平洋沿岸・瀬戸内沿岸でサトウキビが栽培される。
日本のラム酒について
小笠原では、開拓初期(1830年頃)の欧米系定住者が捕鯨船とラム酒の取引を行っていました。1876年に日本領土に確定してからは、サトウキビの栽培による製糖業が盛んになり、その副産物を発酵・蒸留した酒を、島民は「泡酒」や「蜜酒」などと呼び、飲むようにななりました。戦後、アメリカから返還されて小笠原ラム・リキュール株式会社が設立され、地ラム酒が復活しました。1992年より製品化され、現在はインターネットでも広く販売をしています。
戦後のラム酒の製造としては、1979年から徳之島にある高岡醸造のルリカケスが国産ラム酒の第一号です。
ちなみに徳之島は、南西諸島の奄美諸島に属する、鹿児島県内の離島の1つです。
2009年02月06日
クオーター・デッキ

クオーター・デッキとは、船の後甲板のこと。軍艦などでは、後甲板は、将校が集まることから、士官、高級船員の意味もあります。
ラムのエピソードについて
*悪名高き三角貿易
アフリカから黒人を奴隷として西インド諸島に連れて行き、サトウビキ栽培の労働力に。その船に西インド諸島産の糖蜜を積んでアメリカのニューイングランドに運ぶ。ここには、蒸留所が多数あり、糖蜜からラムを蒸留し、そのラムを積んでアフリカに戻る。そしてラムはアフリカで黒人と交換されました。
* グロッキー
17~19世紀にかけ、英国海軍は西インド諸島の植民地でラムを積み込み、毎日60mlずつ水割りかお湯割りにして船員に飲ませ志気を鼓舞していたという。割ったラムは“グロッグ”と呼ばれ、飲みすぎて酔っ払った状態を“グロッキー”と言いました。
* ネルソン提督
英国海軍の提督ネルソンは、最後にトラファルガーの海戦で敵の銃弾を浴びながらも軍を指揮し連合軍を打ち破り、勝利後「余は、義務を全うした。」と述べ戦死しました。その遺体は保存のためラム酒の樽に漬けられてロンドンまで運ばれましたが、港に着いたときには、樽の中のラムは殆ど空で、提督の亡骸も干からびていたとか。乗組員が提督にあやかろうとして飲んだのか、単にラムの支給が無くなり盗み飲んだとかいわれています。そのようなことで、ラムのことを「ネルソンの血(nelson’s Blood)」と呼ぶようになったとか。
2009年01月19日
プランターズ・パンチ

19世紀後半のキューバやジャマイカのプランテーション(大農場)で、労働者用として飲まれていたドリンクがルーツです。
ラムの歴史 その4
18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ諸国でもラムが飲まれるようになり、特にこの時代に大活躍したイギリス海軍では、水兵への支給品として欠かせないお酒でした。現在も、ラムには「海の男の酒」と言ったイメージが濃厚にあります。また、奴隷売買にまつわる三角貿易の重要な商品とされたことも、事の善悪は別にして、ラムの普及を促す結果になりました。
2009年01月06日
カリビアン クルーズ

カリブ海はメキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域小さな島々が点在します。この海域に浮かぶ多数の島々を総称して、「カリブ諸島」あるいは「カリブ海諸島」と呼ばれ、カリブ海自体は多島海のひとつです。これは、カリブ海の緑の島をイメージしてつくられたカクテルです。
ラムの歴史 その2
ラムが最初に作られたのは、諸説ありますが、16世紀頃とされています。最も古い記録としては1651年に「バルバドス島を植民地にしたイギリス人が“キル・デヴィル”と呼ばれるサトウキビから作った酒を飲んでいた」という記述があります。また島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumballion (「興奮」の意)と表現したのが名の由来と思われます。発祥はプエルトリコ島とする説もありますが、いずれにしてもカリブ海原産ではあるようです(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場するお酒といえば、これ)。英サンデー・ミラー紙によると、17世紀ごろカリブ海を舞台にした2003年のアメリカの映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの大ブームのおかげで、英国ではラム酒が飛ぶように売れ、バーでもモヒート、キューバリブレ等のラムベースのカクテルが好んで飲まれました。
ラムは、通常、サトウキビから砂糖の結晶を取ったあとの糖蜜(モラセズ)からつくられますが、サトウキビの絞り汁を薄めて発酵させてつくることもあります。西インド諸島の砂糖工業の発展とともに、ラムの蒸留も盛んになりました。
2008年12月28日
X・Y・Z

エックス・ワイ・ジィ(X・Y・Z)とは、アルハベットの終わり、つまりこの上ない「究極」のカクテルという意味と「もう後が無い」という意味が込められています。
ブランデー・ベースのバリエーションのひとつです。
ラムの歴史 その2
ラムが最初に作られたのは、諸説ありますが、16世紀頃とされています。最も古い記録としては1651年に「バルバドス島を植民地にしたイギリス人が“キル・デヴィル”と呼ばれるサトウキビから作った酒を飲んでいた」という記述があります。また島の住民たちがこの酒を飲んで騒いでいる様子を、イギリス人が rumballion (デボンシャー方言で「興奮」の意)と表現したのが名の由来と思われます。発祥はプエルトリコ島とする説もありますが、いずれにしてもカリブ海原産ではあるようです(カリブ海の海賊たちの物語の中に登場するお酒といえば、これ)。英サンデー・ミラー紙によると、17世紀ごろカリブ海を舞台にした2003年のアメリカの映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの大ブームのおかげで、英国ではラム酒が飛ぶように売れ、バーでもモヒート、ピニャコラーダ、マイタイ、キューバリブレといったラムベースのカクテルが好んで飲まれました。
ラムは、通常、サトウキビから砂糖の結晶を取ったあとの糖蜜(モラセズ)からつくられますが、サトウキビの絞り汁を薄めて発酵させてつくることもあります。西インド諸島の砂糖工業の発展とともに、ラムの蒸留も盛んになりました。
2008年12月06日
LAST KISS


静かなバーのカウンターに座り、口には出さずに「さようなら」をこのカクテルに託してグラスを傾ける、そんな時もあるのかも・・・。
くせがなくさっぱりとしたホワイト・ラムをベースに、ほんのわずかのブランデーとレモンジュースを加えるだけの、シンプルだけどほんのかすかにピリッと苦さを残す大人のカクテルです。
ラム
ラムの歴史 その1
最初にラムの原料であるサトウキビの話から
Science@Sugayの砂糖健康学完全保存版に記載されているのには、紀元前8000~1500年 南太平洋〈現在のニューギニア周辺〉にサトウキビ発祥の伝説が残っているとの事。紀元前400年インドで砂糖の知識が普及。紀元前327年には、インド遠征中のアレクサンダー大王一行がガンジス河流域でサトウキビを発見(「蜜蜂の助けを借りないで蜜をもたらす葦がある」と記録されている)により原産地はインドのガンジス川流域とされているのではないかと思われます。
400~500年 中国で沙糖(サトウキビを煮詰めて完全に乾燥したもの)が作られていました。500年代前半には、中国最古の農業書「斉民要術」が成立。サトウキビ栽培法についての記述が残されています。
ペルシャ経由で地中海沿岸諸国に伝播され、更に1492年、クリストファー・コロンブスの西インド諸島発見以降、南欧のスペインからカリブ海諸国に移植されていったと、いわれています。
2008年11月28日
08 Xmas Live のご案内

いつもご愛顧、有難う御座います。当店では12月20日クリスマスライブを企画いたしました。
演奏は癒しのJazzBand Easy4(アルトサックス、ピアノ、ベース,ドラムの4名)&ボーカルを予定しています。是非ご来店ください!
お待ちしています。
記
日時 12月20日(土)
開場 PM 7:00
開演 PM 8:00~
会費 ¥3,500
飲み放題(当店飲み放題メニューにて)&おつまみ
他 別会計
案内図
Posted by すいけん at
14:25
│Comments(0)
2008年11月20日
ベリー・スリング

ゴードンワイルドベリー・ウォッカをベースに作ったオリジナル・カクテルです。
ワイルドベリー・ウォッカをソーダで割りベリー系のリキュールを注ぎ、マラスキーノ・チェリーを飾りました。
サッパリとした甘酸っぱいベリーの香りの漂うカクテルです。
ウォッカの銘柄紹介その3

甘酸っぱいワイルドベリーの風味が心地良いフレーバー・タイプのウォッカです。
ストレート又はロックで飲んでも、おいしくいただけます。
2008年11月07日
フォルクローレの夕べ
フォルクローレの夕べ

去る11月1日 ”フォルクローレの夕べ” と題して開店3周年記念を行いました。 おかげさまで大勢の皆様にご参加いただき、大盛況で終わることが出来ました事をお礼申し上げます。
これからも皆様に愛される店づくりに努力したいと思いますので末永くお引き立ての程、宜しくお願いいたします。

去る11月1日 ”フォルクローレの夕べ” と題して開店3周年記念を行いました。 おかげさまで大勢の皆様にご参加いただき、大盛況で終わることが出来ました事をお礼申し上げます。
これからも皆様に愛される店づくりに努力したいと思いますので末永くお引き立ての程、宜しくお願いいたします。
2008年10月14日
3周年記念のご案内

フォルクローレの夕べ
おかげさまで開店3周年を迎えることが出来ました。ひとえに日頃の皆様のおかげと感謝しています。
” フォルクローレの夕べ ”と題して、ギタリスト渡辺康平氏とケーナ奏者曽根修氏による、アンデス地方等の音楽を聞きながら、秋の夜をお楽しみください。
今回は、兵庫の蔵元より産直に取り寄せた樽酒も準備しましたので、ご自由にお飲み下さい。
是非、御来店ください。

1981年1月22日、現・浜松市生まれ
幼少の頃、家にいろいろな楽器があった為か、自然に一番身近にあったギターに興味を持ち、その後、独学で習得する。
クラシックギターやフラメンコギターなど、アコースティックギターに興味を持つ中、高校生の頃、南米アンデスの音楽に魅了され、フォルクローレギターを弾き始める。
17歳の時に木下尊惇氏と出会い、1999年より師事。
その後、杉山氏と共に新生ロス・ビエントス・デル・オリエンテを結成、ギターのみならず、チャランゴ、サンポーニャなども習得し、演奏する。その他、いろいろなグループ、ミュージシャンと数々のコンサートに参加する。2004年、グループからは脱退し、現在数々のミュージシャンと活動しています。
記
日時 2008年11月1日(土)PM 7:30~
会場 Bar Suiken
藤枝市田沼 1丁目14-20
会費 ¥ 2,000(1ドリンク&樽酒)
ドリンク2杯目より 1コイン(¥500)
連絡先 TEL/FAX 054-637-2755
Email : suiken@ca.thn.ne.jp
案内図
2008年10月01日
B&R

オリジナル・カクテルです。
ブラヴォド(黒いウォッカ)とレッド・ベア・エナジー(ベルリン市産。タウリンとブラジル産のガラナ果実を配合した、健康志向色の強いリキュール)を使いました。上の層、下の層とストローで別々に飲んでも良し、又混ぜ合わして飲んでも良く各々の味が楽しめます。お酒の色も黒と赤色二つを混ぜ合わせるともちろん藤枝色?(紫色)になります。目で見ても、飲んでも魅力あるカクテルです。
ウォッカの銘柄紹介その2
ブラヴォド・ブラック・ウォッカ(黒いウォッカ)
英国ロンドン産。世界的にも珍しいウォッカです。1996年に、マーク・ドーマンという人物によって開発されました。黒い色は、アジア産の薬草エキスによるもの味わいは、ソフトでスムーズです。
2008年09月11日
メロン・ボール

メロン・リキュールとオレンジ・ジュースを使ったウォカベースのカクテルです。メロンのフルーティな甘い風味と口当たりの良さが素敵です。
ウォッカ その8
ウォッカの銘柄
スミノフ・ウォッカ
写真左が、スミノフ・レッド40゚ 右がスミノフ・ブルー50゚、アメリカのブランドです。
その他にイギリスで作られているスミノフ・ブラックがあります。
1818年ロシアで誕生しました。その後、子孫のヴラジーミル・スミルノーフがフランスへ亡命し、細々と生産を続けました。1933年ルドルフ・クネットが製造権と商標権を買い取り生産し、1939年アメリカで発売しました。
2008年08月27日
ロード・ランナー


このカクテルには“ディサローノ・アマレット”が使われていますが「愛のリキュール」という別名を持つイタリアのお酒です。
ウォッカ その7
ウォッカの種類
ウォッカの種類には、レギュラー・タイプとフレーバード・タイプに大別されます。
レギュラー・タイプは、アルコール度数によりいくつかに分けられます。
スミノフ、ギルビー、スピリタス・・・など。
フレーバード・タイプは、ウォッカ原料にさまざまな香味を付けたり果実を浸漬したリキュール・タイプです。ロシアやポーランドなどに数多くあります。
ダンツカ・グレープフルーツ、ブラヴォド(黒いウォッカ)・・・など。
2008年08月13日
バカラ


ウォッカ その6
製法
12世紀ごろのウォッカは、蜂蜜を原料にしたものだったろうと推測されます。その後18世紀ごろまではライ麦が主原料だったようです。のち、大麦や小麦、アメリカ大陸からもたらされたとうもろこし、じゃがいもなども、使われるようになりました。
現在のウォッカは、こうした農産物などを麦芽で糖化・発酵させ連続式蒸留機で蒸留、アルコール分95%以上の純度の高い蒸留酒(グレーン・スピリッツ)を作り、水で40~60度までに薄めます。それを白樺や椰子を焼いた活性炭などの炭素の層の中をゆっくり濾過させます。これによりアルコールに溶けにくい成分を活性炭に付着させ、酒類の中でもっとも純度が高く無色透明、無味、無臭で、原料由来の微妙な香味をほんの少し残した爽やかな酒として生まれてきます。
2008年07月24日
アプレ・スキー

ヨーロッパのスキー場では、夜、暖炉の前に座ってカクテルを楽しみます。このカクテルは文字どうり、アプレ(後に)スキー。ペルノの独特の香りとグリーン・ペパーミントの清々しい味わいが疲れを癒してくれます。
ウォッカ その5
ウォッカの歴史 5
1993年、禁酒法が廃止されると、アメリカにおいてもウォッカ製造が盛んになりました。1939年頃からカルフォルニア州を中心にウォッカをフルーツ・ジュースで割ったロング・ドリンクが飲まれ始めました。さらに1950年代に入ると、ウォッカの中心的な性格が、カクテル・ベースとして評価され、爆発的なブームになりました。特にアメリカでは現在本国ロシアを上回る規模で生産しているとともに、カクテル・ベースとしては、ジンを追い抜き王座の地位を確保しています。
2008年07月07日
バラライカ


ウォッカ その4
ウォッカの歴史 4
ウォッカがロシア以外の国でも製造、飲酒されるようになったのは、1917年ロシア革命で亡命したウラジミール・スミノフがパリで製造を始めた事だと言われています。その後もこの製法は、革命に反対し亡命した白系ロシア人の手により、南欧からアメリカにまで伝えられました。
2008年06月30日
ブラック・ルシアン



ウォッカ その3
ウォッカの歴史 3
17~18世紀頃のウォッカは、主としてライ麦を原料に使っていたようですが、18世紀後半からトウモロコシ、ジャガイモなども使われるようになりました。1810年、ペテルスブルグのアンドレイ・アルバーノフという薬剤師が、白樺の炭の活性作用を発見、これをウォッカの濾過に利用する技術を開発したのはピョートル・スミルノフだと伝えられています。独自の濾過技術の確立と、19世紀半ばに蒸留精度の高い連続式蒸留機が登場したことにより、酒類の中で、ひときわピュアな風味のウォッカの個性が固まりました。
2008年06月26日
モスコー・ミュール



ウォッカ その2
ウォッカの歴史 2
ウォッカの名前の由来は、“ズィーズナヤ・ヴァダー(ロシア語でズィーズナヤは「命の」、ヴァダーは「水」)”のヴァダーが愛称系の“ウォッカ”に変わったものです。原料は、ライ麦のビールや蜂蜜酒を蒸留していたのではないか、と考えられており、連続式蒸留機が出現する以前は、簡素な単式蒸留器で蒸留していたので、雑味も多く、香草によって香りがつけられることも多かったようです。かつてのロシアでは、ウォッカは王侯貴族だけが飲む特別な酒でした。その製造管理は国の統制化にあり、高額な税金が掛けられていました。